前回に引き続いて、武田信玄ゆかりの温泉地へとご案内したい。今回は正真正銘、「信玄の書状が残る温泉地」を2つ紹介。
岩風呂の底から源泉が湧き出す、下部温泉へ
まず、ひとつ目は山梨県の身延町にある下部温泉。ここには武田家にとって貴重な資金源であった湯之奥金山があり、重臣の穴山氏が管理していた温泉地だ。
その温泉地の一番奥に位置しているのが、随一の老舗「古湯坊 源泉舘」。その玄関に掲示されているのが、宿に伝わる数々の古文書である。よく見てみると、武田晴信(信玄)本人の署名と花押が入ったもののほかに、父・信虎、家臣の馬場美濃守(信春)、穴山信友が記したものもある。
その内容といえば、当地を治めていた豪族・佐野氏、石部氏に宛てた温泉免許状と感謝状である。信玄の書状は日付が永禄4年(1561年)9月28日となり、かの有名な「第4次・川中島合戦」の半月後。戦で傷ついた将兵を湯治、保養させるために信玄が「湯治場として公認した」と察しがつく。
さて、実際にその湯治場を見てみよう。「古湯坊 源泉館」の別館(湯治棟)の地下に、1300年の歴史を持つといわれる岩風呂がある。20~30人は入れそうな広々とした湯船だ。
床の岩盤から絶えず溢れ出てくる源泉は30度ぐらいの冷温泉。ひんやり冷たいが、決して冷たすぎず、気持ちよくて20分や30分は平気で浸かっていられる。
すぐ脇には、40度ぐらいに加温された源泉の湯船がある。冷たい源泉と加温された湯、これに交互に浸かることで身体がじんわり、ポカポカして元気になる。
写真でお分かりのように、ここは昔ながらの混浴。脱衣所は男女別で、水着はNGだが、湯浴み着やタオル巻きがマナーとして決められている。心地よさそうに浸かる人々、自然、会話も弾むというもの。常連の中年男性に聞くと「傷の治療で色々な温泉地に行ったけど、ここのお湯が一番、効果を実感できた。長く浸かっていられるせいかな」と話してくれた。
源泉はこの岩風呂の下から湧いてくるため、劣化がない。まさに理想的な湯の生かし方だ。この湯は、浸かるだけでなく飲むこともでき、ペットボトルも販売している。これほどの効能を持つ良泉で、さぞや武田軍の兵の戦傷も早く癒えたことだろう。なぜだか、ここにいると一緒に入っている人と挨拶も自然にでき、無意識に「裸のつきあい」ができる。
本館には武田二十四将の絵。客室にも「馬場美濃守」「横田備中」「真田兵部」などの名前が冠されている。もちろん「信玄の隠し湯」という看板を抜きにしても、良い宿である。立ち寄り湯は不可だが、宿泊料もかなり安めなので、ぜひ泊まっていただきたい。
信玄の重臣の子孫が営む、川浦温泉へ
さて、次に紹介したいのが、こちらも山梨県の山梨市にある川浦温泉「山県館」だ。戦国時代に興味のある方は「山県」という名前にピンとくるだろう。
そう、この宿は信玄の重臣・山県昌景を初代とし、その息子から子孫へと受け継がれ経営されてきた。現在の当主で15代目になるそうだ。
この宿にも、古文書が伝わっている。「寄付金を集めて湯屋を設けよ」という信玄の下知状(河浦湯屋造営本願之事=恵林寺に現存)で、日付は先の源泉舘と同じ永禄4年(1561年)5月10日。第4次「川中島合戦」の4ヵ月前で、信玄が合戦に備えて湯治場を準備させたと推測できる。
湯宿としての歴史は、江戸末期(幕末)の安政3年(1856年)からで、13代当主・山県信徳が創業。昭和50年には皇太子時代の今上天皇が来館、入浴されたという。
浴場へ行ってみよう。信玄の時代の岩風呂は館の地下、長い階段を下っていって、その先の川べりに位置している。戦国時代からあまり変わりのないような野趣あふれる風情だ。
湯温は43.2度で、ぬるめなので入りやすい。無色透明でクセのない湯質ということもあり、のんびりと浸かっていられる。戦を終え、疲労を癒しにきた将兵らも、この湯にじっくり癒されたのだろう。
宿としては近代的なホテルの造りで、かなり快適に過ごせる。一軒宿なので温泉街といったものはなく、終始ホテル内で過ごすことになるが、食事内容もいいので、かなりおすすめできる部類の宿といえよう。
ホテルの脇にある山にのぼってみると、山県家の墓があった。かなり古い時代のものもある。武田家滅亡後、徳川の天下になった中で、ひっそりと湯治場を営んでいた祖先たちの苦労がしのばれる。
塩山駅前にある信玄の銅像。古文書の内容でも明らかなように、信玄自身がこれらの温泉に入ったという記録はない。あくまで「信玄が湯治場として認可した」という事実が分かるのみだ。記録にこそないが、これほどのいい湯であれば浸かりたいと思うのが日本人の性。遠征の折にお忍びで信玄自身が湯に浸かった、などという一幕があったとしてもおかしくはないだろう。
(今回紹介した温泉&旅館)
下部温泉 古湯坊源泉舘
川浦温泉 山県館
※この記事は「男の隠れ家デジタル」に寄稿したものと同内容です(著・上永哲矢)