夏目漱石が愛してやまなすぎた「道後温泉」

まだ小さいころ、映画『坊っちゃん』をテレビで観た。夏目漱石の名作『坊つちゃん』は、これまで5回も映画化されていて、調べてみると、私が観た作品は一番新しい中村雅俊が主人公を演じた1977年のものだった。とても面白かったし、松坂慶子のマドンナがすごく美しかったことをよく覚えている。

その映画で中村雅俊が温泉の湯船で泳ぎ、生徒らにからかわれるシーンをよく覚えていた。初めて松山を訪れ「道後温泉本館」に入ったときは真似して泳いでみようと思ったが、さすが有名どころ。入浴客が一杯で泳ぐどころではなかった。それ以前に小説と同じく「坊っちゃん泳ぐべからず」と書かれた板が浴室の壁に貼られ、私のようなお馬鹿な浴客対策が万全なことに感心したものだ。


道後温泉の歴史はとても古い。596年、聖徳太子(厩戸皇子)が病気療養のため来湯して石碑を立てたという記録が『伊予国風土記』に記されている。その前にも「大国主命が、少彦名命を温泉に浸して病気を癒した」という伝説がある。有馬、湯の峰、白浜など「日本最古」とされる温泉地はいくつか候補があるが、道後も最古の候補地の筆頭格に挙げられよう。

江戸時代には松山藩主・松平氏が温泉街を整備、統治していたが、それが終わって、温泉は庶民のものとなり、1894年(明治27年)「道後温泉本館」ができた。漱石が松山中学の英語教師として赴任したのは、その翌年の4月。できたばかりの本館はさぞや見事で立派なものに見えただろう。

「ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけは立派なものだ。(中略)温泉は三階の新築で上等は浴衣をかして、流しをつけて八銭で済む。その上に女が天目へ茶を載せて出す。おれはいつでも上等へはいった」(『坊つちゃん』)

漱石は、それからだいぶ経った1906年に雑誌「ホトトギス」で『坊つちゃん』を発表。作中では道後を「住田の温泉」と名を変えて書いたが、小説の執筆前にも「道後温泉は余程立派なる建物にて、八銭出すと三階に上り茶を飲み菓子を食い湯に入れば頭まで石鹸で洗って呉れるという様な始末、随分結好に御座候」と、知人の手紙に書いた。当時は身体を洗ってくれる係がいたようだ。

現在の「道後温泉本館」に入る。上・中・下の料金によって入れる浴室や休憩室を分けてある。サービスを均一化せず、昔ながらのシステムは漱石の描写のままだ。道後の湯は滑らかでやわらかい。浸かっていると、なんだか奥ゆかしさを覚える。実に18本もの源泉があって、温度も20度から55度まであるのをブレンドして適温にしているそうだ。程よく混ざり合った湯が極上の浴感を与えてくれるわけである。


ホーッと息をついて湯から上がり、広々とした畳敷きの休憩室へ行くと、給仕さんがお茶と菓子を持ってきてくれる。お茶以外にも冷たいドリンクが有料で飲めるが、アルコールはない。漱石のころから酒はなかったのだろう。

3階は個室の休憩室だが一番奥に「漱石の間」という部屋があり、そこは自由に見学できる。漱石が正岡子規と旅行したときに利用したらしい。2階までは入浴客で一杯だが、ここまではあまり興味を持つ人は少なく、人はまばら。じっくりと見られて良い。


実際の漱石は松山赴任中、現在の松山市内の民家を借りて下宿していた。そこに友人の正岡子規が52日間にわたって居候し、子規の門下の河東碧梧桐、高浜虚子らの俳人が集まってきて親睦を深めたり句会を開いたようである。

高浜虚子は正岡子規の弟子で、子規の死後「ホトトギス」を引き継ぎ、『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』を掲載して世に送り出した。漱石が後に小説家としてデビューできたのは虚子あってのことだ。その虚子は漱石に誘われて何度も道後へ通った。その際、赤シャツのモデルになった同僚の英語教師が一緒だったということなどが回想録『漱石氏と私』『伊予の湯』から明らかとなる。漱石自身が記した以上に、漱石は道後温泉を愛していたことが伝わる。

「彼(漱石)は時に御影石の新しい石段に腰をかけて其の足の甲を温泉の中に遊ばせながら此の温泉を唯一人で占領してゐるやうな心持でゐることもあった」

「彼は此の地の人情風俗に別つつことを惜しまなかったが、唯此の道後温泉と離れねばならぬことを悲しんだ。彼は出発の前日長い時間を此の温泉に費やした」

漱石さん、まったく、あんた一体どれだけ好きなの? といいたくなってしまうぐらいだが、彼が後年『坊つちゃん』の中で、いかに道後温泉に特別な思いを持って描いたかが理解できよう。

まだある。それから10年ほど経った1907年(明治40年)5月、虚子は京都で漱石と会い、宿の風呂へ一緒に浸かりながら道後温泉の思い出話に花を咲かせた。同年の虚子への手紙でも「道後の温泉へも這入りたい。あなたと一所に松山で遊んでいたらさぞ呑気な事と思います」と書いて懐かしがっている。漱石にとって、道後は思い出の地以上の場所であったようだ。

著作「偉人たちの温泉通信簿」では、この「漱石と道後温泉」をはじめ、多くの偉人と温泉とのつながりを紹介しています。よろしければ、ぜひご覧ください。

道後温泉本館
https://dogo.jp/onsen/honkan

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