火の国の「ひなび湯」を求め、湯町をそぞろ歩く【熊本県・山鹿温泉】※回顧録

【熊本県・山鹿温泉】


(注:この記事は2004年に訪問した時の記録です。
残念ながら桜町温泉と旅館田島は現在営業していません)

熊本県の温泉地といえば、昔から有名なのが人吉温泉であり、
最近は黒川温泉を思い浮かべるひとが多いだろう。
そうしたなかにあって山鹿温泉は、どちらかといえばマイナーな温泉地だ。

「さくら湯」は、温泉街のシンボル的存在である。
昔、剣聖・宮本武蔵が藩主の細川家の招きで来湯したこともあるという歴史ある温泉。
今も建物の前に絶え間なく源泉が湧き出て、いつでも汲みとれるようになっている。
山鹿の人々にとって、この温泉は特別な存在なのだろう。
(追記:さくら湯は2012年に改修され、きれいでレトロ感ある温泉施設に生まれ変わっている)


そのまま温泉町をぶらついていたら見つけた、金剛乗寺の石門。
200年ほど前に、江戸時代の石工が切石を削って拵えたものだそうな。
この門の存在のおかげで、どこぞの異国に通じるような神秘性を覚えさせる。


宿に着いた。旅館割烹・田島。旅装を解いて浴衣に着替え、浴場へ向かう。
(追記:現在、この旅館は営業していません)


シンプルな湯船があった。床と湯船のへりの高さが均一に近く、流れ込んだ源泉が
淵からジャバジャバと、勢いを留めることなく溢れ出て吸水口へ流れている。
これこそ正真正銘の掛け流しといって良いだろう。なんとも贅沢な湯だ。

湯のほうだが、見た目は普通の無色透明。しかし、ph値が高いのだろう、
まるで、ウナギに触れたかのようなトロっとした湯ざわりが特徴だ。
これなら湯疲れしづらく、いくらでも長く浸かっていられそうだ。
とはいえ、あまり長く浸かりすぎても良くないので、数分程度浸かったら、
湯船のへりに上がって身体を休め、また浸かる。これが賢い。
浸かり続けると湯疲れしてしまうからだ。
気持ちがいいので、ずっと浸かり続けたくもなるが、休み休みが身体にはいい。

宿を出て、公衆浴場・桜町温泉へ。入湯料は今時なんと150円。
「ほんとに150円でいいんですか?」と番台のおっちゃんに問いかけたくなるような
良心的値段に、ただひたすら有難さを感じつつ中へ。


(桜町温泉は、現在営業しておりません)
地元民に愛される独特の趣を漂わせる昔ながらの温泉浴場。
東京の銭湯とはまた異なり、温泉街ならではの情緒が溢れている。


陽の高いうちから、町内のおじさんたちがのんびり身体を休めていた。
同じ町内にあるので、湯質は「田島」のものと似ており、アルカリ性のすべすべ湯だ。
一度浸かると、そう簡単には上がりたくなくなるような中毒性がある。


湯あがりに温泉街を歩きまわり、よさげな店を探す。
道の先に灯るは1本の赤提灯。ここに入ってみるか。


湯上がりだから、ビールがうまい。
何か合うアテはないかと探したら、焼き鳥もあったが、「鶏の塩焼き600円」の文字にひかれて注文。
いい匂いととともに、色合い豊かな鶏焼きが運ばれてきた。
特筆するほどの味ではないけれども美味しいし、満足である。
こういう素朴なひと皿は、豪勢な旅館の夕食よりも嬉しかったりする。
ほかに明太子や馬刺しなどを地酒とともに満喫した。


翌朝、バスで市街地の北にある日輪寺へ行ってみた。
視界が開け、いきなり山の斜面に30mぐらいの石仏が立っていて度肝を抜かれる。

この寺には、「忠臣蔵」で有名な大石内蔵助はじめ赤穂浪士17名の遺髪塔がある。
江戸時代、熊本・山鹿は細川家の領地であった。吉良邸に討ち入った咎で切腹させられた赤穂浪士のうち、
17名の身柄を細川家が預かったという縁で、彼らの遺髪がおさめられたとか。
もちろん、切腹したのは江戸なので、本当の墓は名高き泉岳寺にある。

浪士たちの接待役を務めた堀内伝右衛門は、自らの知行地内にあったこの日輪寺に
彼らの遺髪塔を建てて供養し、のちに伝右衛門自身も死後、当寺に埋葬された。なんとも粋ではないか。

宮本武蔵に、赤穂浪士を供養した堀内伝右衛門。
武士に愛されたこの温泉町は、庶民的ながらどことなく品があり、
凛とした空気が漂っているようだ・・・。

山鹿温泉 http://www.y-kankoukyoukai.com/

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